獣道をスーパーカーで走る。

身体醜形障害の40代

偏狭で浅薄な愚者ですが何か?

就職先が無事決まり、一度落とされた蘭ITベンチャーに入社することに。


両社からは今までの経験(あと恐らく英語力)を高く買って もらい、最後は米と蘭の競り合いになってくれたおかげで、「不景気の中で無職」という圧倒的に不利な条件下でも足元を見られるずに済み、半ば諦めていた元の給料水準で働けることになった。とてもありがたく、これはもう己の実力以上に運というか、やっぱり人生流れというのものがあるのか….

と、まぁなんだかんだと大手を渡り歩いて経験を積んで良かったのだとホッと胸を撫で下ろすも、40歳を超えて専門性を定めずまた2年ぐらいで辞めたら今度こそアウトなので、神様が与えてくれたラストチャンスだと受け止め、今回はある程度方向性を定めながら、学べることはきちんと学びたい。会社側も期待してくれているみたいで、「今回のポジションは我々も単に入り口だと思っている」、「お給料もさらに上を目指せる」と背中を押してもらっているので、今回は行けるところまで行きたいと思う。ずっと避けてきた中間管理職にも挑戦してもいいかもしれない。。

 

社内では2週間から3ヶ月の海外研修も設けているみたいで(コロナがある程度収束したらの話だけど)「若手じゃないのにいいのかな」とウジウジせずに、そういうのにも積極的に手を挙げながらキャリアを積もうと、そして今まで意識を解離させながら働いてきた分を巻き返したい。

 

今のところはそんな心意気である。実際働きは始めたら省エネモードで働きたいと思うかもしれないけど。

 

あくまでも予想に過ぎないけど、転職先の地味で堅実な文化は、今まで働いてきた会社の中で最も自分に合いそうな気がする。日系の文化はもともと合わず、米系の迫力にもちょっと疲れてきたので、真面目でありながらもどこか余裕のある欧州系で働けるのはとてもありがたい。

 

最先端の技術をもってしても海外の企業がガラパゴスで既得損益主義の日本で成功するのは難しい。でもそれは承知の上で、アジアのヘッドが「日本でビジネスを起動を乗せるには最低5年は必要だ」と面接で話ていたので、しばらく撤退はなさそうで一安心。日本もどんどん変わらないと、アジアの中で経済面でも精神面でも後進国に成り下がってしまうよ。『ユニークな日本人』説が今でも根付いているのか、日本人の変な選民意識も面倒臭い。

 

この秋は私とYくんとニャンズの健康を考えて、少し自然の多い地域へ引っ越す予定。強い意志を持って俗世間とどんどん距離を置くのが必要になってきているのかもしれない。

 

そしてFIV+のにゃんずが今後もストレスなく過ごせるように益々健康管理をしてあげたい。ホメオパシーや自然療法、人間同様にホリスティックにケアしたい。最近1匹が軽い膀胱炎になってしまい、猫はただ可愛がっていればいいってもんじゃないんだと改めて。毎日「かわいい」という最高の癒しを与えてくるあの子達には最期まで元気でいて欲しい。

 

そしてお世話になった近所の獣医さんは明らかに年の差がある私とYくんの関係が分からないんだろうな、Yくんが先に帰った後、Yくんのことを「旦那」とも「彼」とも呼ばず「お兄さん(私の兄という意味ではなく、若い男の人という呼称で)」と呼んでいたのが笑えた。

 

音楽の方では二つ企画が動いている。

 

一つは例の大御所声優さんが作詞された曲の音源化。

 

もう一つは過去に描いてもらったシングル曲用のイラストをアニメーション化して、続編の曲を新たに作ること。こちらは完全に自分の趣味というか、アニメーションに携わったことがない初心者同士で智恵を合わせて完成させようという実験的な試み。

 

その他にもやりたいことが少しずつ増えている。

 

先日久々にテレビを見ていて、その内容、演出、コメンテーター全てが浅薄で、日本から知性というものが失われつつあるのかもと危惧を通り越して、呆れたというか、諦めが芽生えた。

 

よってその知的レベルに合わせるように、何かを表現するにも、その場で小学生でもすぐわかる芸が求められている。人気YouTuberの動画が良い例である。Twitter等のSNSでは極力敵をつくらないようなキラキラコメント、或はプロレスのショーと同様に、感情を逆なでるような極端な発言ができる悪役的なオピニオンリーダーが求めらる。

 

侘び寂びの美学はどこに?

 

いいね数、ファボ数、再生回数は作品の質や実際の人気とは比例しない。それを期待してモノ作りすることには全く惹かれず、ドーパミンも全く出ないので、私なんか足元には及ばないような絶滅危惧種となりつつある職人肌の方々のお世話になりながら、お互いに納得いくようなモノづくりをする、それでいい、と、承認欲求がまだ燻る自分に何度も言い聞かせている。

 

自分の視点は理解されない。そう思えば傷つくことも減るだろう。恐らく私の視点こそ偏狭で浅薄。なるべく色々な考え方を理解したいと視点で物事を捉えようとすればするほど「常識」に対して懐疑的になり、マイノリティーになっていく。つまり浅薄で偏見的なのは私の方。別に正しさ求めてないし、どうせ愚者。文句や憂は意味がない。

 

昨夜はYくんがパチンコで当たり台を見つけて3千円勝ってきた。

 

本屋とコンビニに行ってくると言って家を出たけど、それにしても時間がかかっていたので、パチンコに寄っているのだろうというのがなんとなく察し、そこから色々とフラッシュバックを起こしてしまい、確認するために彼に電話をする。そして出ないから、やっぱりパチンコなんだと落胆する。それでまたフラッシュバックを起こし、項垂れる。

 

例え1パチだったとしてもここ数ヶ月の間に一生懸命掻き集めてきたお金を千円でも注ぎ込まれたら悲しい。依存はどんなに正論を主張して、そして相手がそれを理解していても、止められない。彼が滋賀でどんなに金欠でもパチンコにバイト代や貯金を注ぎ込んでしまった姿を見ているし、私もそれを承知の上での同棲だから「依存症だから..ごめんね」と言われたら何にも言い返せないし、その場合、私はそれを受け入れらるのだろうかとか、色々な考えが脳裏を巡る。

 

結局当たり台探しだったので、誰も損しないので問題ないはずだし、それぐらいの楽しみがあってもいいと納得しているはずなのに、フラッシュバックもそうだし、「当たり台で満足しなくなっていったら」とまだ起きていないことに対する不安も過ぎり、彼が帰ってからも暫くは動揺が収まらず。

 

Yくんの依存、つまりは彼のトラウマが潜んでいるであろう胃腸を含むその他身体的な問題は、猫の健康と同様に、仕事が始まったら本格的に取り組みたいと思う。

 

これは以前も書いたかな、、私の動揺の原因はYくんのパチンコ依存に対してもそうだけど、その先にある「雨夕希には何しても許してもらえるだろう」いや、「許す」を通り越して「何してもいいだろうw」という、家族のゴミ処理係をしてきたことにも起因する。

 

Yくんにだって自分の生き方がある。

 

何でも自分の思い通りにしようとしてはいけない。

 

同時に私も引き続き自分のトラウマと向き合わないければいけないなとしみじみ思うのである。